2008.09.28 Sunday
10:47 | posted by
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9/22 第十六回踏査
2回生 2名、OB 1名
9/27 第十七回踏査
1回生 1名、2回生 2名、OB1名
新しく畝状竪堀を発見。
CADでの作図が終了し、今からBOXでトレース。
修羅場。
K.Y
2008.09.23 Tuesday
00:50 | posted by
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本日は、縄張り図の確認作業(だったはず、たぶん)です。
だいぶ涼しくなり、いよいよ秋めいてきた今日ですが、先述の台風の足音(足音というより、体に風を受けて「嵐が来そうだ…」とひとり呟く感じでしょうかね…)はより近づいてきました。
by J.V.ウテナ
2008.09.23 Tuesday
00:44 | posted by
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どうも、10日ぶりの例会報告です。
夏休みも終わりに近づき、また空気もどこか冷たくなってきている今日この頃ですが、当研究会には、NFという名の台風が近づきつつあります。
今日は、〆切や編集会議の日程等、スケジュールを設定しました。
来月初旬に原稿を上げるという破格の厳しさです。
今月中に研究室関連の仕事及び授業の準備、そして来月初旬に授業での発表を控える自分としては、まさに台風接近の2週間の幕開けです。
by J.V.ウテナ
2008.09.09 Tuesday
00:41 | posted by
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久々にBOXに人があふれました。
現役生の数も多く、2名がとれんち原稿を提出してくれました。先輩方のチェックの目にはかなりキツイものがありますが。めげずに頑張りたいものです。私もそろそろ原稿作成に取り掛からねば…。縄張図のチェックもしていただきました。
NFパンフレットに載せる原稿について、何か良い案があれば教えてください。このままではやばいことになってしまいますよ〜。僕は構わないのですが。
K.Y
2008.09.09 Tuesday
00:19 | posted by
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参加者 1回生3名・2回生1名・3回生1名 計4名
経過 9:08 バス乗車
11:00 写真撮影開始
11:45 測量開始
12:15 昼食休憩
12:40 平坦地西やその先の尾根を歩き、音羽川に続くことを確認
13:40 土砂降りに遭う。バスを逃す。夢見ヶ丘で休憩。
14:40 バス乗車。下山。
本日のメインテーマはとれんちへの掲載や展示目的に使用する写真の撮影でした。いろいろと努力はしてみましたが、モノクロ印刷した際に遺構の特徴を確認できるのに足るものに仕上がるかは甚だ疑問…。
その後は経過に書いたとおりです。バスに遅れ、歩いて夢見ヶ丘まで下りようとする一群を見かねたおじさんが(1回生のN先生の顔なじみ!?)、皆を軽トラックの荷台に乗せて運んでくれました。気持ちよかったです。まさか比叡山ドライブウェイをトラックで激走できるだなんて。そのあと、夢見ヶ丘でラベンダーソフトクリームを食べました。
雨にぬれ、縄張図作成は進まなかったし、バスにも乗り遅れ、次のバスは満員で…と散々な踏査でしたが、トラックのことはいい思い出になりました。N先生とおじさんに感謝!!
K.Y
2008.09.08 Monday
23:52 | posted by
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現役生は1人しかいません。
雑談・笛の演奏中心の例会でした。
先輩方がおとなの遊びを教えてくださいました。
_______
9/6の踏査報告
個人的に縄張図作成のために実施しました。
黙々と作図しただけです。
平坦地白耳義の南西側にある平坦地群をフリーハンドで図面に落としてみましたが、このやり方については御指摘をいただいたので後日訂正するつもりです。
今回は帰り道で迷ってしまい、しばらく山道をさまよっていましたが、気づくと…なんと城跡らしき以遺構の上にいるではありませんか。しかも、石垣らしきものも見られる立派な造りです。どなたかが平板測量をおこなっているようでした(機材が置かれるも、人はいなかった)。
何とか山中町に出ることができ、そこから志賀街道を下りました。
K.Y
2008.09.03 Wednesday
18:43 | posted by
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現役生は2人しかいません。
先輩方は奥で笛を吹いていました。
僕は縄張図のトレースをしながら、いろいろな不安を感じていました。
何やらもっと大きな楽器を持った先輩がやってきました。
僕は帰りました。
…というわけで私は途中で帰ってしまったので、満足な活動報告が書けません。J.V.ウテナ先輩、ご期待に添えず申し訳ありません。
というわけで、8/31の踏査報告(おそらく第13回。個人的に縄張図を描きに行っただけ。)を少しばかり。
一応、全体の1/3程度まで完了しました。しかし、描き方などに誤りがあると思われるので、先輩方のチェックを受けた上で修正作業が必要になるでしょう。
それと、音羽川の上流を探検してみました。延暦寺山城の大きな郭(馬場説、貯水池説などあり)から近く、そこを城の水源としていた可能性も十分考えられます。ただ、かなり急峻な地形のため、いかにして水を運んだのかについて検討する必要があろうかと。両手を空けて挑んだのですが、滑って転んで、滑って転んでの繰り返しで、服が悲惨な状態に…
帰りはハイキングコースを使って瓜生山のほうを抜けてきました。途中で遺物を採取し、翌日、先生に見ていただいたところ、急須の破片で、年代は幕末から昭和の頃のものではないかとのこと。おそらく雨で土が流され露出していたのでしょう。
K.Y